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神戸地方裁判所尼崎支部 昭和62年(ワ)145号 判決

原告

福澤繁樹

右訴訟代理人弁護士

足立昌昭

被告

共栄火災海上保険相互会社

右代表者代表取締役

行徳克己

右訴訟代理人弁護士

江口保夫

泉沢博

戸田信吾

平栗勲

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、五三〇万円及びこれに対する昭和六二年三月六日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  事故の発生

原告は、昭和五九年一二月二二日午後一〇時五〇分ころ、訴外沢野久和(以下「沢野」という)の業務執行中に大阪市福島区海老江七丁目一番先交差点で、訴外上野泰弘(以下「上野」という)と喧嘩となったが、原告は喧嘩を止めて立去るべく、普通貨物自動車(神戸一一な二三二七号、以下「加害車」という)に乗り込んで発車させたところ、上野は、半開きの右側ドアから原告の着衣を引張って降車させようとした。原告は、これにかまわずに加害車を前進させたところ、上野は加害車のステップに片足を乗せ、その上半身を車内に乗り入れてきた。原告は、時速二〇キロメートルに加速して走行しながら、上野に対して「もう、ええかげんにしてくれ、降りてくれ」等と言ったが、上野は逆に「まだ話がついとらん、降りろ」と言うばかりでらちがあかないまま経過し、同日午後一〇時五五分ころ、そのまま約一〇〇メートル走行した同所海老江七丁目三番三一号先の国道二号線の交差点内で加害車から転落し、同車の後輪で轢過され(以下「本件事故」という)、翌二三日、右受傷により死亡した。

2  損害賠償責任の確定

原告は、上野の相続人である訴外上野薫に対し、昭和六〇年九月五日、本件事故による損害賠償責任を認め、賠償金として二〇〇万円を支払った。

上野薫は、原告に対し、本件事故に基づく損害賠償請求訴訟を提起し(大阪地裁昭和六〇年(ワ)第一〇四〇八号)、同六二年一月三〇日、本件事故に基づく損害賠償責任を肯定し、原告に対し残損害金五三二万九一六二円及びこれに対する同六〇年一二月二六日から完済まで年五分の割合による金員の支払を命ずる判決がなされ、右判決は確定した。

ついで原告と上野薫は、原告が確定損害賠償責任につき損害金のうち三三〇万円を支払う旨の和解をし、同六二年二月一七日、原告は、上野薫に三三〇万円を支払った。

3  責任保険契約

加害車は、沢野が所有しており、沢野は、同五九年七月二一日、被告との間に左記保険契約を締結している(以下「本件保険契約」という)。

保険の種類 自家用自動車

証券番号 五四四―一八一―一四五―一八

保険期間 同五九年七月二一日午後四時から同六〇年七月二一日午後四時まで

そして、原告は沢野の従業員であるところ、右保険契約の依拠する自動車保険普通保険約款(以下「本件約款」という)によれば、原告は記名被保険者以外の被保険者(本件約款第一章第三条一項三号)にあたる。

4  よって、原告は、被告に対し、保険金五三〇万円及びこれに対する被告に本訴状が送達された日の翌日である昭和六二年三月六日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2のうち、上野薫の原告に対する損害賠償請求訴訟の判決があり、これが確定したことは認めるが、その余の事実は知らない。

3  同3の事実は認める。

三  抗弁(原告の故意による免責)

1  本件事故の態様は次のとおりである。

(一) まず、本件事故による原告に対する刑事判決(大阪地裁昭和六〇年(わ)第三四号、第一五一号)(以下「本件刑事判決」という)によれば、以下のとおりで、傷害致死罪と判示している。

原告は、同五九年一二月二二日、加害車(車長8.36メートル、車両重量四四七〇キログラム、最大積載量三二五〇キログラム、キャブオーバー型、運転台と荷台との間にクレーンが装備されている。)を運転して国道二号線を北西に向けて走行し、同日午後一〇時五〇分ころ、大阪市福島区海老江七丁目一番先の野田阪神北交差点南西側横断歩道手前、片側三車線の左端車線で、信号待ちのため停車していたところ、忘年会で飲酒後、女友達と共に国道二号線を西側から横断して来た上野において、その右肩付近を加害車前部に殊更に接触させながら睨みつけ、手招きをして挑発してきたとして立腹し、下車して右横断歩道上で「おい、謝まらんかい。」と言いながら同人を投げ倒し、更に、立ち上がった同人と互いに胸倉を取り合った際、同人が連れの女友達に、仲間を呼ぶように言うのを聞くや、仲間が居るのでは逃走する外ないと考え、通行人が上野との間に分け入ってくれたのを幸い、加害車に戻って発進させ、ついで運転席側ドアの把手を掴んでドアを閉めようとしたとき、丁度追って来た上野に、着用していたジャンパーの右袖口と裾とを掴まれ、引きずり降ろそうとされたが、かまわず逃走すべく、同車を時速約五キロメートルで走行させると、上野において、「おい、降りて来いよ。まだ話がついていないやないか。」などと言いながら、右の状態のまま運転席横を加害車について約七二メートル歩いて来、その後、左手は原告のジャンパーの裾を掴んだまま、右手でハンドルを掴み、右足を加害車のステップ(地上高約0.55メートル、幅0.35メートル、最大奥行0.17メートル)に掛け、ハンドルの上方に頭部が出る位まで上半身を運転席に入れるようにして乗り込み、なおも、「降りて来い。まだ話がついていない。」と繰返し要求するに至ったため、原告は、右手を運転席側ドア窓枠の下縁に掛けてこれを内側に引きつつ、同人の右暴行から自己の身体を防衛するため、これに必要な程度を超えて、同人を右の状態で乗せたまま、加害車を時速約二〇キロメートルにまで加速して、同区海老江七丁目三番三一号先の大阪市水道局野田営業所前交差点南西側付近までの約109.9メートルを直進走行させる暴行を同人に対し加え、よって、同一〇時五五分ころ、同交差点に差しかかったときに、上野を加害車から落下させて、その頭部、胸部等を、同車右後輪で轢過し、頭骨・肋骨各骨折及び肺動脈断裂等の傷害を負わせ、翌二三日午前零時五分、同区福島一丁目一番五〇号所在の大阪大学医学部附属病院において、同人を、右の肺動脈断裂に基づく出血失血により死亡させた。

(二) さらに原告は前記走行中、上野を邪魔物扱いし、同人を振り落そうとしてドアの開閉をなしたり、急加速したりしたものである。

2(一)  前項(一)、(二)の事実を総合すれば、原告には、上野に対する傷害の結果につき確定的な故意があったことは明らかである。

(二)  そうでなくても、前項(一)によれば、原告は、上野がドアが開いたままになっている運転席に体を乗り込ませ、右足を車のステップに乗せた不安定な状態でいたから、このまま走行すれば同人が道路に落下するであろうことを十分認識しながら、上野から逃れたい一心でやむないものと認容して、加害車を時速約二〇キロメートルで約一一〇メートル直進させる態様の暴行を加え、その結果、上野を道路上に落下させ、同車の後輪によって轢過して負傷、よって死亡するに至らしめたもので、少くとも傷害についての未必の故意があったことは明らかである。

(三)  そうでなくてもさらにまた、本件における暴行行為は、不安定な状態の上野を加害車のステップに乗せたまま時速二〇キロメートルで同車を109.9メートル走行させた行為(これが不安定な状態にあった上野の身体に対する走行に伴う推進力や震動等の有形力の行使となる)であるところ、少くとも原告は、上野が不安定な状態であったことは十分認識していたのであるから、この状態で加害車を時速二〇キロメートルで走行することが違法な有形力の行使にあたることを認識して、これを上野から逃れるために意図的に行使し、若しくは、少くとも十分認識認容したことは明らかである。

3(一)  本件約款七条一項二号において、損害の発生が、記名の被保険者(本件では沢野)以外の被保険者(本件では許諾による運転者たる原告)の「故意」による場合は、保険会社は填補責任を免れる旨(以下「免責条項」という)定められているから、この適用により被告は本件で免責される。その理由は以下のとおりである。

(二)  免責条項にいう故意とは、被保険者が法律上の損害賠償責任(自賠法三条、民法七〇九条、七一五条などの責任)を負担するような事故を発生、招来する危険な行為についての故意であると解されるから、刑法上結果加重犯である傷害致死として扱われる事案類型においては、その性質上故意は、その原因行為たる暴行に対する故意で足り、この暴行の結果である傷害、又は死亡までの故意は必要でない。したがって、右暴行と相当因果関係の範囲内にある傷害及び死亡による損害も填補されない。

(三)  免責条項の「故意」には以下のとおり未必の故意も含まれる。

(1) まず「未必の故意」は、結果発生について、その可能性を予見し、これを発生してもよいと認容することであり、同じく結果発生を予見してはいるものの、漫然と現実には生じないと信じて適切な措置を講じなかった場合の「認識ある過失」とは概念としても異なるものである。したがって一般通念上「未必の故意」は「故意」の概念に含まれるものであるから、故意免責の故意には未必の故意を含まないとの縮小解釈をすることは、新たに約款の立法をするのに等しく、解釈の限界を越えている。

(2) 商法六四一条が免責を定める「故意又は重大な過失」による事故のうち、どの範囲で免責を定めるのかは、各保険制度の趣旨や公益に反しない限り、約款立法上の自由に委ねられているところ、昭和四〇年一〇月一日の自動車保険の約款改定において、約款立法者は、賠償責任の免責条項から「重大な過失」を削除して「認識ある過失」までは保険で担保することとし、他方、「未必の故意」を「故意」免責に含ませて保険で担保しないこととしたものであって、保険業界では、故意には未必の故意が含まれるというのが約款解釈上の確立された見解であり、保険実務はそのように行われてきている。

(3) 免責条項の依拠する商法六四一条の免責の趣旨は故意又は重大な過失による自招事故に対する保険金支払が保険契約当事者間の信義則に反し、又公序良俗に反するためであるところ、「未必の故意」は同じく結果発生の可能性を認識しているが、結果発生を認容しない「認識ある過失」とは結果発生を認容する点で社会的非難を受ける罪悪性の程度と質において異なり、結果発生を確定的に認識する「確定故意」と同質であって、右免責の立法趣旨上も「故意」に含められて当然のものである。

四  抗弁に対する原告の認否と主張

1  抗弁1のうち(一)は認め、(二)は否認する。

2(一)  同2の(一)の事実は否認する。

(二)  同2の(二)のうち、上野が道路に落下することを原告が認識していたこと及び傷害につき未必の故意があったことは否認する。

(三)  同2の(三)も否認する。

3(一)  同3のうち(一)の約款の定めは認め、その余は否認する。

(二)  同3の(二)は争う。故意は事故原因だけでなく結果についても必要である。すぐれて刑法学上の概念である結果加重犯を民事法分野にそのまま持ち込むことは適切でない。

(三)  同3の(三)のうち、(1)の概念定義は認めるが、その余は争う。同(2)は争う。同(3)のうち、商法六四一条の免責の趣旨は認め、その余は争う。むしろ、右免責の趣旨は極めて道義的、倫理的な要請に依拠するものであるから、事案により、逆に道義的非難の程度が低い場合には、免責を認めなくても不合理でない。本件は、原告が、上野において任意に降車してくれることだけを念じながら運転を継続しており、ただ上野が執拗に原告にとりついているうちに本件事故が発生したもので、原告に対する道義的非難の程度は低く、免責を認める方が、常識的にみて不合理である。

第三  証拠〈省略〉

理由

一請求原因1、3の事実及び2のうち、上野薫の原告に対する原告主張の損害賠償請求訴訟の判決があり、これが確定したことは当事者間に争いがなく、〈証拠〉によると、原告は、本件事故による損害賠償として、上野の相続人である上野薫に対し、同六〇年九月五日に二〇〇万円、同六二年二月二五日までに三三〇万円を支払ったことが認められる。

二1  抗弁1記載の本件事故態様のうち(一)は当事者間に争いがない。

2  そして〈証拠〉によると、

(一)  本件事故時、上野は、忘年会の帰りであって、かなりの酒、ビールを飲み、血中のアルコール濃度は0.229パーセントであり、目は充血し、ろれつも廻らず、足元もたよりなくなっており、酩酊状態にあったもので、原告も同人から逃れるため加害車を走行していたとき、右酩酊状態を熟知していた。

(二)  上野が加害車に上半身を乗り込ませて来た際、原告が右側のドアを内側に引き寄せていたのは、肘を下方へ下げる等なすと共に上野がこれ以上車内に入り込むのを妨害抑止しようとしたものであり、また上野は右足をステップに乗せていたものと推測されるが、左足は右ステップに乗せることができず非常に不安定な姿勢であったもので、原告自身、加速した際右のように上野が不安定な状態にあったことを認識していた。

(三)  原告が加速走行していたのは、片側の幅員が7.5メートルの二車線の国道二号線であり、本件事故当時も、原告と同一方向に走る車両も多数あり、上野が加害車から落下転倒した場合は、加害車のみならずこれら同一方向に走る車に轢過される危険性が大きかったもので、このことは容易に誰もが認識しうるところであった。

(四)  原告自身、前記認定の加速走行継続時に、上野が加害車から落下するかもしれないし、落ちたら危険だとの認識を有していたものの、上野から逃れたい一心であった。

以上の事実が認められ、〈証拠〉中加速走行中上野の重心は車中にあり、不安定状態でなく、ドアを引きつけていたのは同人の落下を防止するために同人を支えていた旨の部分外右認定に反する部分並びに〈証拠〉は前掲各証拠に照らして採用できず、また抗弁1の(二)を認めるに足る証拠はない。

3  右2(一)ないし(四)の各事実及び前記1の争いのない本件事故態様(一)を総合すると、本件事故は、上野が飲酒により体の安定性を欠いているうえに加えて、右足でステップに立ち、右片手でハンドル右側を、左手で原告のジャンパー裾を掴んではいるものの原告の右手とドアで運転席に入れないよう妨害抑止されている不安定な体勢であったために、走行に伴う推進力、震動等により落下の危険性があり、さらに落下すれば転倒して自車又は他車により轢過される危険性の高い態様の時速二〇キロメートルに加速して約109.9メートル直進走行するという暴行の結果発生したものであって、右加速走行継続時に、原告は走行に伴う推進力や震動等により、右のような不安定な体勢でいる上野が車から落下するかもしれないし、落下すれば道路に転倒して負傷し、あるいは自車又は同一方向に走行する他の車両によって轢過される危険性があることを十分認識しながら上野から逃れたい一心で、落下による負傷もやむないものとあえてこれを認容し、走行を継続したものと認められる。そうだとすると原告には、上野に対し右加速走行の違法な有形力の行使である暴行につき確定的故意があるのみならず、同人が加害車から落下し、路上に転倒したところを加害車で轢過され頭骨骨折等の傷害を負うに至る権利侵害結果についても、未必の故意があったということができる。

三1 本件保険契約に適用される本件約款には、保険会社は、記名保険者以外の被保険者(本件では原告)の故意によって生じた損害を填補しない旨の規定があること(抗弁3(一))は当事者間に争いがない。

そこで右規定にいう「故意」に「未必の故意」が含まれるか、また「故意」は、違法な権利侵害結果発生の原因たる行為に対するもので足るのか、或いは原因行為の結果である違法な権利侵害(財産上の損害でなく)に対するものまで要するかについて争いがあるところ、本件約款のような普通契約約款の解釈は、個々の顧客が保険契約を締結するに至った事情や真意は問題にすることなく、顧客圏の合理的平均人が約款をどう理解するかを基準として、約款の文言を、通常の用語の意味に従い、かつ当該約款の目的に鑑みて、客観的に把握すべきものであるので、この観点により以下検討する。

2 前記争いない事実によれば、本件約款は責任保険の約款であり、責任保険は被保険者の法律上の損害賠償責任負担を保険事故とするもので、それは基本的に民法上の不法行為責任たる法律効果であるところ、同約款及び右不法行為責任のうち、原因の如何によって損害填補対象から除外する免責条項の解釈にあたっては、そこで使用される用語、概念の通常の意味は原則的に民法上の不法行為法理におけるそれに即してこれを把握すべきものである。

そして民法上の不法行為に基づく損害賠償責任の成立には、「故意」又は「過失」に基づく権利侵害による財産上及び非財産上の損害の発生を要し、「故意」には結果の発生を望みないし確定的に認識する「確定的故意」のほかに「未必の故意」を含み、「過失」に含まれる「認識ある過失」とは、両者ともに結果の発生の可能性を認識している点では同一であるが、行為者が、その結果の発生をやむないものと認容するか否かで区別され、認容の有無によって、行為者に対する非難可能性の大きさに質的な差異が生じ、この点において、結果の発生を認容する点で「未必の故意」は「確定的故意」と共に「故意」の範疇に入る、とされている。

また、不法行為法の解釈では、「故意」で必要とされる認識の限度は自己の違法行為に基づく何らかの権利侵害なる結果の発生で足り、傷害致死の例のように、その結果と因果関係ある加重的権利侵害結果については、その認識がなくても、同結果に基づく損害賠償責任を負うとされている。

3 保険契約のような集団的、技術的性格のゆえに必然的に附合契約化する契約内容となる保険約款の解釈資料としては、作成経緯、作成者たる保険業者の解釈が重要であるところ、〈証拠〉によると、我国における損害保険会社の昭和二二年作成の自動車保険普通保険約款では、商法六四一条と同様、「悪意」及び「重大な過失」を免責事由とし、右「悪意」は「故意」を意味し、「故意」の中には「未必の故意」が当然含まれると解釈されていたこと、右約款は、昭和二九年ころから各保険会社から選出された委員によって改正のための検討がなされ、同四〇年一〇月に改正されたが、改正後の約款によると、免責条項は車両条項と賠償責任条項に分けて規定され、前者は「故意」又は「重大な過失」を、後者は「重大な過失」を除いて「故意」だけをそれぞれ免責事由としたこと、右改正作業の過程で、「故意」には「未必の故意」が含まれることが確認され、「未必の故意」を免責条項から除こうとする動きはなかったこと、同四七年にも被害者保護を進め、自賠責保険に近づけるための約款改定がなされたが、「故意」から「未必の故意」を除外することはなく、その後、この点に関して議論はなされたが約款の改定にまで至っていないこと、また、「故意」の対象については、保険業界では、事故発生の原因について存在すれば足り、損害発生についての認識までは必要でないという解釈が確立されていたことが認められ、右業界の解釈に自己の利益に偏したり、恣意的である等不合理な点は認められない。

4 前掲証拠によれば免責条項は商法六四一条と同趣旨に出たものであるところ、商法六四一条が被保険者の悪意(故意と解されている)による保険事故に対し保険免責を定める趣旨、根拠は、故意の行為が任意の、或いは多かれ少かれ結果を意識した非難されるべき心理状況でなされることにかんがみ、これによる損害を填補することは、保険制度の目的よりみて、その射倖契約性における信義則に反し、また公序良俗に反するからである。そうすると、保険制度の目的よりする評価においては、同じ権利侵害結果の認識があるとしてもそれを認容する「未必の故意」は、右結果不発生を信ずる「認識ある過失」と質的に異なり、それによる損害填補は「確定的故意」による場合と同様に許されない範疇に属するというべきである。

5 以上2ないし4を総合すれば、本件約款の免責条項中の「故意」には「未必の故意」が含まれ、「故意」は加重的権利侵害結果に対するものまでは必要でないと解するのが相当である。右に反し個別事案の道義的非難の程度により免責の可否を決めるべきとする原告の主張はとりがたい。

四そうすると、前記二で認定したように、原告は上野に対する傷害につき未必の故意があるから、被告は本件約款の免責条項により、本件事故につき保険金の支払を免責されることになる。

五よって、原告の本訴請求は理由がないから棄却することとし、民訴法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官杉本昭一 裁判官熊谷絢子 裁判官古閑美津惠)

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